長らく更新が滞っていました。最大の原因は多用ということですが、問題は物理的な時間だけではなく、むしろ心のもち方のほうが大きいような気がします。細切れの時間のなかで情報を集めることも、定期的に訪問するサイトの記事を読むことも続けてはいました。そこから自然に出てくる感想は、今日本は大変な状況になっているという、まったく月並みなものですが、空恐ろしいことには、そういう危機意識をもっている人はあまりにも少ないように見えるのです。
危機意識のない人に現状の問題点を理解させることは簡単ではありません。いきなり自分が考えていることをストレートに言ったら、こっちがおかしくなったと思われる可能性があるのです。ふつうに話しあって、相手が間違ったことを言ったら、表現は努めておだやかにしながら、断固として反論すると、相手にこちらの真剣さは伝わります。たいていマスゴミの言っていたことを言うだけの人が多いので、ネットでいろんな言論を経験していれば、突っ込みどころはあるのです。ただし、そこまで話しが進まないことも少なくありません。
そのような口コミで今の状況の危機を伝えることができるのは、数としては限られています。ブログで情報・意見を発信することは、そういう限界を超えることができるのも確かなことです。ただし、僕のブログを訪問して下さる方は、リンクを貼って下さっているべつのブログから来られるか、検索に引っかかったのか、その類いの方が多いだろうと思います。そうだとすると、今の危機的状況については。すでに認識しておられる方が大部分でしょう。だとすると、僕が現在の日本について警鐘を鳴らしても、それほど効果はないと思います。
更新が滞った背景には、そういう思いもありました。それと表裏一体の理由としては、さまざまなブログが、適切かつ有効な仕方で今の危機的状況を理解させ、問題のありかを指摘し、人々の認識をまっとうな方向に導いていこうとしていることがあります。それと同じことをしようとしても、新しい成果は得られないでしょう。そういうこともあって、時事的な話題でもエントリをあげたい思いはありましたが、忙しさのほうが勝つ結果になったのです。
このブログの最初からの目標は、そういう時事的な問題について論じることではありませんでした。きっかけは前回の参議院選挙の結果に愕然としたことですが、そういう状況がなぜ生じたのかを自分なりに考えようとして、直接時事問題を考えるのではなく、時事問題も含めて、ものの考え方そのものについて考えようとしたのです。それについても、優れたブログはいろいろありますが、そして僕自身、お気に入りサイトでいろんな意見に出会うことを楽しみにしていますが、僕の考え方を発信することも、遠慮する必要はないだろうと思い直しました。そういう訳で、ちょっと自分の出発点に帰ってみたいと思います。
今日のテーマは、このごろ定期的に訪問している、とても論理的で鋭い議論を展開しているブログを読んで少し考えたことです。日本語は論理的じゃないということを言う人が昔からいて、僕はそういうことを言う人のほうが論理的じゃないと思っていました。つまり、自分が日本語を論理的に使うことができないから日本語が論理的じゃないと思い込んでいるのだと考えたのです。
つまり、日本語が論理的じゃないと思う人の典型は、英語などの外国語が論理的だと思って(思わされて?)それと日本語を対比しているのでしょう。それが本当に対比できているなら、その人は論理が分かっているはずなので、日本語でも論理的に考えることができているはずです。しかし僕の経験だけから言えば、そういう人は論理が理解できていないようにしか思えません。なぜなら、その人は、自分が考えるときに使っている日本語が論理的でないと思っているからです。
論理的であることがどういうことかということは、必ずしも簡単に理解できることではありません。しかし、論理的でないということは比較的分かりやすいことに思えます。誰かが言っている内容が、たとえば論理の飛躍が感じられる場合、論理的ではないと感じられるでしょう。そういう議論を揶揄して言う形容に「風が吹けば桶屋がもうかる」というものがあります。もちろん「風が吹く」から「桶屋がもうかる」まで一足飛びに飛躍するわけではなく、その間に数段階の(大げさに言えば)議論の展開があるのですが、その議論はどれも帰結を必然的に導きだすものではないのです。たとえば、猫がネズミを捕るものだということが常識である状況を前提しても、三味線に革を使うために殺される猫が、それまでネズミを捕っていたのでないならば、いくら三味線を作ってもネズミが増える結果にはつながらないでしょう。
そんな飛躍は、このように身近に想像することができる事例の場合には比較的気がつきやすいもののように見えるのですが、これと同じような論理を、経済の専門家というような肩書きをつけた人が、専門用語らしきものを散りばめて展開すれば、一般の人はコロッと騙されてしまうケースが多いかもしれません。そういう詐欺を組織的に行なっているのが今のテレビで、コメンテーターと呼ばれる人たちのうち、けっして少なくない人間が、欺瞞論理の常習犯だと言えるでしょう。なぜそれがまかり通るかと言うと、一つには、こういう論理の飛躍は簡単に気づかれるものではないため、見過ごされてしまうということがあります。
そういう飛躍にコメンテーター自身が気がついているのかどうかは、とても疑問です。気がついていないなら、そんな阿呆コメンテーターを使うテレビ局はほとんど犯罪的だと言えます。気がついていて言っているのなら、コメンテーター自身も犯罪の片棒をかついでいるのでしょう。いずれにしても、誰も気がついていないなどということは、日本人の知的レベルから言ってありえないことなので、分かっていながらやらせている人がいることは間違いありません。マスメディアの小さくない部分が、そういう詐欺師に牛耳られているということだと思います。
by yy10000
日本語と論理(2)